05. 真っ赤なクルマ ― 2009年08月09日 20時33分38秒

ようやく渋滞を抜けた。アクセルを踏み込むと心地よいGと共に景色が視界をすり抜けて行く。心の重く沈み込んだ部分を置き去りにして明るい空へ高く高く飛び上がるようなそんな感覚がいつも僕を包み込む。
昨日のライブの余韻がまだ人差し指に浮き立つような痺れとして残っている。今度のライブが最後だから、そう言ったときのメンバーの丸い目が今でも思い浮かぶ。いつの間にかアクセルを踏み込んでいる。追い越し車線を走るトロい軽をかわす。視界が狭まってゆく。
ふらふらと見え隠れする赤い点が、バックミラーに映る。
ステージでいきなり言うんだよ、最後だって。
落書きだらけの狭い楽屋で、僕はいたずらを企む子供のように胸を弾ませていた。そのときメンバーが、マサキやコウヘイやアツシがどんな顔をしていたのか、僕は何故か思い出すことができない。
赤い点は次第に大きくなる。次々に車をかわしながらものすごい速度で近づく赤い車を確認したとき、僕は反射的にアクセルを踏み込んだ。大きなトラックの横をぎりぎりにすり抜けて目をやると赤い車はさらに大きくミラーを埋めている。
体が熱くなる。
何かが背中を押す。
赤い車はすぐ後ろに迫っている。右から追い抜きをかけようとする車に僕はわざと右にハンドルを切り前を走るクーペに追い越しをかける。タイヤが滑る。怒鳴るようにクラクションが響く。赤い車はぴったりと僕の後ろに付いている。運転手の男の顔はよく見えない。助手席に座るショートカットの女性がミラー越しに僕を見つめている。
不意に、耳元で含み笑いが聞こえた。ミラーに映る、助手席の、女。
赤い車がミラーからふっと消えた。右手に赤い車が迫る。ハンドルが汗で滑る。助手席の女性がこちらを見て、笑う。そしてその奥でこちらを見ようともしない、男。
(テツヤ?)
小さなライブハウス。
年代物の機材に素人のPA。
まばらな客。
赤い車が僕の前をすり抜けてゆくのがまるでスローモーションのように感じる。血が逆流する。体中が心臓になり頭ががんがんと鼓動を打つ。かけっぱなしのカーラジオはもう聞こえない。ハンドルがぶれる。迫る壁を寸前でかわす。タイヤが悲鳴を上げる。他の車なんて見えない。クラクションも何も聞こえやしない。
目に入るのはただ、赤い色。
負けられない。
お前にだけは、絶対に。
熱に浮かされたようにアクセルを踏み込む僕の頭に、今まで忘れていた情景がありありと浮かんだ。
反笑いで僕を斜に見ているマサキ。
興味無さげに携帯電話を触っているコウヘイ。
何を言っても無駄だと首を振るアツシ。
小さなライブハウス。
年代物の機材に素人のPA。
そんなシケたハコさえ埋められない僕。
大はしゃぎで最後を告げる僕に降る、醒めた視線。
わかってるんだ、そんなこと。
それでも同じことだ。アクセルを踏む足が棒のように固まり震える。僕はめちゃくちゃにハンドルを切る。
なあ、そういうことだろ、テツヤ。
僕にはもう、後が無い。
一気にアクセルを踏み赤い車に迫る。女の笑い声が耳元で響く。ハンドルを固く握りしめ爪を突き立てて僕は赤い車を、テツヤを追う。空に飛び上がったはずの僕はいつの間にか重く醜く脱ぎ捨ててしまいたいものを残らず引きずりながら地を這う獣のように走り続けている。
昨日のライブの余韻がまだ人差し指に浮き立つような痺れとして残っている。今度のライブが最後だから、そう言ったときのメンバーの丸い目が今でも思い浮かぶ。いつの間にかアクセルを踏み込んでいる。追い越し車線を走るトロい軽をかわす。視界が狭まってゆく。
ふらふらと見え隠れする赤い点が、バックミラーに映る。
ステージでいきなり言うんだよ、最後だって。
落書きだらけの狭い楽屋で、僕はいたずらを企む子供のように胸を弾ませていた。そのときメンバーが、マサキやコウヘイやアツシがどんな顔をしていたのか、僕は何故か思い出すことができない。
赤い点は次第に大きくなる。次々に車をかわしながらものすごい速度で近づく赤い車を確認したとき、僕は反射的にアクセルを踏み込んだ。大きなトラックの横をぎりぎりにすり抜けて目をやると赤い車はさらに大きくミラーを埋めている。
体が熱くなる。
何かが背中を押す。
赤い車はすぐ後ろに迫っている。右から追い抜きをかけようとする車に僕はわざと右にハンドルを切り前を走るクーペに追い越しをかける。タイヤが滑る。怒鳴るようにクラクションが響く。赤い車はぴったりと僕の後ろに付いている。運転手の男の顔はよく見えない。助手席に座るショートカットの女性がミラー越しに僕を見つめている。
不意に、耳元で含み笑いが聞こえた。ミラーに映る、助手席の、女。
赤い車がミラーからふっと消えた。右手に赤い車が迫る。ハンドルが汗で滑る。助手席の女性がこちらを見て、笑う。そしてその奥でこちらを見ようともしない、男。
(テツヤ?)
小さなライブハウス。
年代物の機材に素人のPA。
まばらな客。
赤い車が僕の前をすり抜けてゆくのがまるでスローモーションのように感じる。血が逆流する。体中が心臓になり頭ががんがんと鼓動を打つ。かけっぱなしのカーラジオはもう聞こえない。ハンドルがぶれる。迫る壁を寸前でかわす。タイヤが悲鳴を上げる。他の車なんて見えない。クラクションも何も聞こえやしない。
目に入るのはただ、赤い色。
負けられない。
お前にだけは、絶対に。
熱に浮かされたようにアクセルを踏み込む僕の頭に、今まで忘れていた情景がありありと浮かんだ。
反笑いで僕を斜に見ているマサキ。
興味無さげに携帯電話を触っているコウヘイ。
何を言っても無駄だと首を振るアツシ。
小さなライブハウス。
年代物の機材に素人のPA。
そんなシケたハコさえ埋められない僕。
大はしゃぎで最後を告げる僕に降る、醒めた視線。
わかってるんだ、そんなこと。
それでも同じことだ。アクセルを踏む足が棒のように固まり震える。僕はめちゃくちゃにハンドルを切る。
なあ、そういうことだろ、テツヤ。
僕にはもう、後が無い。
一気にアクセルを踏み赤い車に迫る。女の笑い声が耳元で響く。ハンドルを固く握りしめ爪を突き立てて僕は赤い車を、テツヤを追う。空に飛び上がったはずの僕はいつの間にか重く醜く脱ぎ捨ててしまいたいものを残らず引きずりながら地を這う獣のように走り続けている。
06. チャイナ・カフェ ― 2009年08月17日 23時00分01秒

ケイスケと会うのは高校以来だ。取引先の新しい担当者が高校の同級生だなんて、確率で言えば奇跡に近いだろう。会社にほど近いカフェに入り、ランチを頼んでおれは目の前の水を飲み干した。店内に漂う中国茶の香りがはしゃぎすぎたおれを少し落ち着かせる。
ケイスケは汗を拭いながら肩で息をしていた。でっぷりとした腹が窮屈そうに椅子に収まる。
「大丈夫か?」
「何が?」
「あ……いや」
特に仲がいいわけじゃ無かった。それでもこんな大きな街で昔の知人に会うことが嬉しい。おれは気を取り直して話しかけた。
「いつからこっちに?」
「ああ、大学がね。それからそのまま」
「帰らないの?」
「いずれね」
「ふうん」
会ってからずっと、ケイスケはおれのことを尋ねない。
「テツヤとか今も聴いてる?」
「いいや」
「……そう」
間が持たなくなっておれはトイレに立った。ケイスケもおれに会って驚いたり喜んだりしていたように見えたけれど、そもそもおれが思い出すまであいつは気付きもしなかった。ため息をつくと不意に現実感が薄れる。
前にもこんな、あれは夢、だったのかそれ、とも。
……馬鹿かおれは、こんなところで。頬を叩き首を振っておれはトイレに歩いた。通路横の席で若いカップルがいちゃついている。四人掛けのテーブルの片側にわざわざ横並びになって、何かを見ている。小さな液晶画面でテレビか動画かそんなものを眺めているらしい。顔を寄せて頬を付けて時々耳に口を寄せて笑い合う様子は年寄りなら顔をしかめるかもしれないが、おれが見る限りそれは微笑ましいものでしかない。
「悪いだなんてこれっぽっちも」
不意に若い男の声が耳に入った。振り向いてよくよく見ると小さな液晶画面に男がふたり映って何やら喋っている。Tシャツにジーンズ、白い歯の男たちが笑い合いながら今日観戦したサッカーの話でもしている、そんな雰囲気だ。不意に携帯が震えた。
『今夜会える?』
マユミからのメールだ。駄目だ、今日は早く帰るって約束した、守らないとまた。通路に立ってメールを打ち始めたおれの耳に映像の男の声が途切れながら届く。
「……解放してあげたんだ。この……からね」
「ほんの……苦しめば天国へ行ける……」
知らず知らずのうちにおれはその声に耳をすましていた。
「奴らは感謝してるさ、僕たちに殺されたことを」
突然背筋がぞっと凍った。画面に映る男たちと聞こえた言葉がうまく一致しない。でも今、はっきりと、じゃあそれを笑顔で見ているこのカップルは。世界が反転したような感覚に囚われた。さっきまで微笑ましかったカップルが不気味なものに姿を変える。カップルだけじゃない、ここに居る、全ての。息が止まりそうになりおれはトイレに駆け込んだ。鏡の中には青ざめてひどい顔をしたおれが居る。
しっかりしろ。ただの聞き違いだ。
目を閉じ気分を落ち着かせておれはトイレを出た。と、待っていたかのようにおれの前に誰かが立った。中学生か、高校生か、黒髪をまっすぐ伸ばした少女の肌は透けてしまいそうなくらいに白い。
「何か?」
「あなた、メロンが嫌いでしょう?」
現実がガラガラと崩れ落ちてゆく。
「どうした? 長かったな」
トイレから戻ると既にランチが来ていた。ケイスケは先に食べ始めている。話の糸口を探しながらおれは席に付いた。確かケイスケと同じクラスだったのは一年のとき。じゃあ二年は、そして……。
「あれ?」
おれの素頓狂な声にケイスケが顔を上げた。
「おれ、高校二年のとき、何やってたんだっけ?」
ケイスケは知らん、と無造作に言い捨てて俯いた。
「……ま、昔のことだからな」
言い繕うように発せられたケイスケの言葉に疑問を差し挟む余裕はまだ、おれには無かった。
ケイスケは汗を拭いながら肩で息をしていた。でっぷりとした腹が窮屈そうに椅子に収まる。
「大丈夫か?」
「何が?」
「あ……いや」
特に仲がいいわけじゃ無かった。それでもこんな大きな街で昔の知人に会うことが嬉しい。おれは気を取り直して話しかけた。
「いつからこっちに?」
「ああ、大学がね。それからそのまま」
「帰らないの?」
「いずれね」
「ふうん」
会ってからずっと、ケイスケはおれのことを尋ねない。
「テツヤとか今も聴いてる?」
「いいや」
「……そう」
間が持たなくなっておれはトイレに立った。ケイスケもおれに会って驚いたり喜んだりしていたように見えたけれど、そもそもおれが思い出すまであいつは気付きもしなかった。ため息をつくと不意に現実感が薄れる。
前にもこんな、あれは夢、だったのかそれ、とも。
……馬鹿かおれは、こんなところで。頬を叩き首を振っておれはトイレに歩いた。通路横の席で若いカップルがいちゃついている。四人掛けのテーブルの片側にわざわざ横並びになって、何かを見ている。小さな液晶画面でテレビか動画かそんなものを眺めているらしい。顔を寄せて頬を付けて時々耳に口を寄せて笑い合う様子は年寄りなら顔をしかめるかもしれないが、おれが見る限りそれは微笑ましいものでしかない。
「悪いだなんてこれっぽっちも」
不意に若い男の声が耳に入った。振り向いてよくよく見ると小さな液晶画面に男がふたり映って何やら喋っている。Tシャツにジーンズ、白い歯の男たちが笑い合いながら今日観戦したサッカーの話でもしている、そんな雰囲気だ。不意に携帯が震えた。
『今夜会える?』
マユミからのメールだ。駄目だ、今日は早く帰るって約束した、守らないとまた。通路に立ってメールを打ち始めたおれの耳に映像の男の声が途切れながら届く。
「……解放してあげたんだ。この……からね」
「ほんの……苦しめば天国へ行ける……」
知らず知らずのうちにおれはその声に耳をすましていた。
「奴らは感謝してるさ、僕たちに殺されたことを」
突然背筋がぞっと凍った。画面に映る男たちと聞こえた言葉がうまく一致しない。でも今、はっきりと、じゃあそれを笑顔で見ているこのカップルは。世界が反転したような感覚に囚われた。さっきまで微笑ましかったカップルが不気味なものに姿を変える。カップルだけじゃない、ここに居る、全ての。息が止まりそうになりおれはトイレに駆け込んだ。鏡の中には青ざめてひどい顔をしたおれが居る。
しっかりしろ。ただの聞き違いだ。
目を閉じ気分を落ち着かせておれはトイレを出た。と、待っていたかのようにおれの前に誰かが立った。中学生か、高校生か、黒髪をまっすぐ伸ばした少女の肌は透けてしまいそうなくらいに白い。
「何か?」
「あなた、メロンが嫌いでしょう?」
現実がガラガラと崩れ落ちてゆく。
「どうした? 長かったな」
トイレから戻ると既にランチが来ていた。ケイスケは先に食べ始めている。話の糸口を探しながらおれは席に付いた。確かケイスケと同じクラスだったのは一年のとき。じゃあ二年は、そして……。
「あれ?」
おれの素頓狂な声にケイスケが顔を上げた。
「おれ、高校二年のとき、何やってたんだっけ?」
ケイスケは知らん、と無造作に言い捨てて俯いた。
「……ま、昔のことだからな」
言い繕うように発せられたケイスケの言葉に疑問を差し挟む余裕はまだ、おれには無かった。
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