01. ナイトクラブ ― 2009年05月17日 22時20分35秒

ボクは歩いていた。どこに行きたかったのか、もう今は思い出せない。
角を曲がると人影が見えた。テツヤだ。ボクは嬉しくなったけれどわざと知らない振りをして歩き、近づいてから今気付いたような顔でテツヤに声をかけた。
振り向いたテツヤは突然大声で喚き始めた。ボクと約束をしたと言う。世界一美味しい紅茶を飲ませてやるからここで待ってろ。約束なんかしていない。テツヤに会うのは初めてだしボクは紅茶なんて飲まない。それでもテツヤは早く紅茶を飲ませろと言って聞かない。
ボクは紅茶を探しに戻った。ドアを開けると目の前のベッドは激しく寝乱れている。シャワーの音が聞こえる。浴室のドア越しにボクは紅茶の在処を尋ねる。さあ。けだるく答える彼女の声がいつもとは違う。何かはわからないけれど、違う。
ボクは家中探しまわる。キッチンもリビングも、寝室も。ベッドには微かに体温が残っていて初めて嗅ぐようなそれでいてひどく嗅ぎ慣れた臭いが鼻を突く。吐きそうになりながらボクは探す。出てくるのはどれもコーヒーばかりで紅茶は何処にもない。
紅茶を買いに行こうと玄関のドアを開けると外は突然夜で、色とりどりの灯りに目が眩んでボクは自分が何処にいるのかわからなくなる。ボクはめちゃくちゃに走り片っ端から店に飛び込む。店はどれもブティックで女物の服が山のように積まれている。服をかき分けてようやく見つけ出したものはいつも緑茶かウーロン茶でボクはその度にひどく落胆する。飛び込んだ店は怪しげなクラブで速いだけのベース音がぐるぐると店の中を回る。化粧の濃い女が当たり前のようにボクの体に手を回す。女の肩の向こうに彼女が見える。まっすぐな髪を下ろしてすとんと落ちるワンピース、いつもの彼女が色の付いた灯りに照らされて見た事の無い目つきで男に手を振る。慌てて女の体を引きはがすけれどふたりはもう何処にも見つからない。何もわからなくなってボクは走る。紅茶はこの世から消えてしまったのかもしれない。テツヤは許してくれるだろうか。ボクは許してくださいと頭を下げるのだろうか。紅茶なんて知らないのに。テツヤに会うのは生まれて初めてなのに。別の店に飛び込むとそこは古ぼけた小さな店で奥の老婆がボクを一目見てあからさまに顔をしかめた。もう無いって言ってんだろう、あれが最後さ。ボクは弾かれたように外に出た。後ろ姿。追いかけた人影は路地の暗がりに消える。目の前に突然昼の光が溢れボクはいつの間にか家の前にいる。振り向くとドアが開いて彼女が顔を見せる。笑顔。ドアの前に立つ男が家に滑り込む。叫びながらボクは走る。ドアを叩こうとしたその瞬間ドアは吸い込まれるように消える。欲しいものが、大切なものが、守りたいものだけが奪われてゆく。そんな予感がボクを支配して目が覚めてもボクは動くことができない。
角を曲がると人影が見えた。テツヤだ。ボクは嬉しくなったけれどわざと知らない振りをして歩き、近づいてから今気付いたような顔でテツヤに声をかけた。
振り向いたテツヤは突然大声で喚き始めた。ボクと約束をしたと言う。世界一美味しい紅茶を飲ませてやるからここで待ってろ。約束なんかしていない。テツヤに会うのは初めてだしボクは紅茶なんて飲まない。それでもテツヤは早く紅茶を飲ませろと言って聞かない。
ボクは紅茶を探しに戻った。ドアを開けると目の前のベッドは激しく寝乱れている。シャワーの音が聞こえる。浴室のドア越しにボクは紅茶の在処を尋ねる。さあ。けだるく答える彼女の声がいつもとは違う。何かはわからないけれど、違う。
ボクは家中探しまわる。キッチンもリビングも、寝室も。ベッドには微かに体温が残っていて初めて嗅ぐようなそれでいてひどく嗅ぎ慣れた臭いが鼻を突く。吐きそうになりながらボクは探す。出てくるのはどれもコーヒーばかりで紅茶は何処にもない。
紅茶を買いに行こうと玄関のドアを開けると外は突然夜で、色とりどりの灯りに目が眩んでボクは自分が何処にいるのかわからなくなる。ボクはめちゃくちゃに走り片っ端から店に飛び込む。店はどれもブティックで女物の服が山のように積まれている。服をかき分けてようやく見つけ出したものはいつも緑茶かウーロン茶でボクはその度にひどく落胆する。飛び込んだ店は怪しげなクラブで速いだけのベース音がぐるぐると店の中を回る。化粧の濃い女が当たり前のようにボクの体に手を回す。女の肩の向こうに彼女が見える。まっすぐな髪を下ろしてすとんと落ちるワンピース、いつもの彼女が色の付いた灯りに照らされて見た事の無い目つきで男に手を振る。慌てて女の体を引きはがすけれどふたりはもう何処にも見つからない。何もわからなくなってボクは走る。紅茶はこの世から消えてしまったのかもしれない。テツヤは許してくれるだろうか。ボクは許してくださいと頭を下げるのだろうか。紅茶なんて知らないのに。テツヤに会うのは生まれて初めてなのに。別の店に飛び込むとそこは古ぼけた小さな店で奥の老婆がボクを一目見てあからさまに顔をしかめた。もう無いって言ってんだろう、あれが最後さ。ボクは弾かれたように外に出た。後ろ姿。追いかけた人影は路地の暗がりに消える。目の前に突然昼の光が溢れボクはいつの間にか家の前にいる。振り向くとドアが開いて彼女が顔を見せる。笑顔。ドアの前に立つ男が家に滑り込む。叫びながらボクは走る。ドアを叩こうとしたその瞬間ドアは吸い込まれるように消える。欲しいものが、大切なものが、守りたいものだけが奪われてゆく。そんな予感がボクを支配して目が覚めてもボクは動くことができない。
02. 真夜中のドライブイン ― 2009年05月27日 01時14分37秒

ヘッドライトが消えてしまえば、小さな羽虫のように吸い寄せられるしかない。そんな風に僕は透明な自動ドアをくぐった。午前三時のサービスエリアはまるで海の底のようで、さらさらと鳴る砂のように微かなBGMが流れている。
紙コップのコーヒーを飲み干しようやく僕は息をついた。蛍光灯がカチカチと瞬く。
カチカチ。
カチカチ。
--私が悪いの?
深呼吸をして僕は周りを見渡した。大抵がひとりか、ふたり連れか、一定の間隔をあけてぽつりぽつりと存在するその形はどこか静けさを感じさせる。
まるで、放牧されている羊のような。
食べ、眠り、ため息をつき含み笑う。足音。食器の音。缶コーヒーがガタンと落ちる。うっすらと紗をかけるようにそれらを包みこむBGM。僕は目を閉じた。耳だけが鋭く尖ってゆく。
車道から微かなベースが唸る。
蛍光灯のハイハットが不規則なリズムを刻む。
自販機のモーターが空気を振るわせる。
スプーンが甲高く耳を刺す。
嘆きのテノール。
囁きのアルト。
上目遣いで甘えるソプラノ。
絡まりぶつかり合う真夜中のスキャット。
--そうやって、言い訳ばっかり。
僕は目を開けた。フードコートの店員が居眠りをしている。
--そんなこと、もう何年言ってるの。
--うるさいな。わかってるよ。
--わかってない。五年やって駄目なものが、十年で突然うまくいくわけ?
思い出すだけで火をつけたように胸の奥が熱い。いつの間にか拳を握り締める。耐えるように深く息を吐くと彼女の声が耳元で囁いた。
--私が悪いの?
玄関でハツミはそう言って僕を見上げた。短い髪が頬に貼りついている。僕は何も言わずに鍵を置いた。
君は今頃眠っているだろう、ひとりきりのベッドに沈み込んで。そして夜が明ける前に起きて、満員電車に乗り、オフィスで疲れ果て、また満員電車で家へ帰る。
それが、君の誇りとする日常。
泳ぎ疲れたら、君はそれまでだ。
そうだろ?
BGMが変わった。テツヤの歌だ。僕は天井のスピーカーを見上げて誰にも聞こえない声で呟いた。
待ってろ。
そこに行くから。
僕は立ち上がった。紙コップを捨てて自動ドアをくぐると外は夜明けの気配さえ見えない。助手席のギターを横に見て僕はエンジンをかけた。
もう逃げない。
ハンドルを切る僕の目の前を流星のようにヘッドライトが横切る。
僕は行く。
君を残して、光の差すほうへ。
新しい世界へ。
もうすぐ夜が明ける。
紙コップのコーヒーを飲み干しようやく僕は息をついた。蛍光灯がカチカチと瞬く。
カチカチ。
カチカチ。
--私が悪いの?
深呼吸をして僕は周りを見渡した。大抵がひとりか、ふたり連れか、一定の間隔をあけてぽつりぽつりと存在するその形はどこか静けさを感じさせる。
まるで、放牧されている羊のような。
食べ、眠り、ため息をつき含み笑う。足音。食器の音。缶コーヒーがガタンと落ちる。うっすらと紗をかけるようにそれらを包みこむBGM。僕は目を閉じた。耳だけが鋭く尖ってゆく。
車道から微かなベースが唸る。
蛍光灯のハイハットが不規則なリズムを刻む。
自販機のモーターが空気を振るわせる。
スプーンが甲高く耳を刺す。
嘆きのテノール。
囁きのアルト。
上目遣いで甘えるソプラノ。
絡まりぶつかり合う真夜中のスキャット。
--そうやって、言い訳ばっかり。
僕は目を開けた。フードコートの店員が居眠りをしている。
--そんなこと、もう何年言ってるの。
--うるさいな。わかってるよ。
--わかってない。五年やって駄目なものが、十年で突然うまくいくわけ?
思い出すだけで火をつけたように胸の奥が熱い。いつの間にか拳を握り締める。耐えるように深く息を吐くと彼女の声が耳元で囁いた。
--私が悪いの?
玄関でハツミはそう言って僕を見上げた。短い髪が頬に貼りついている。僕は何も言わずに鍵を置いた。
君は今頃眠っているだろう、ひとりきりのベッドに沈み込んで。そして夜が明ける前に起きて、満員電車に乗り、オフィスで疲れ果て、また満員電車で家へ帰る。
それが、君の誇りとする日常。
泳ぎ疲れたら、君はそれまでだ。
そうだろ?
BGMが変わった。テツヤの歌だ。僕は天井のスピーカーを見上げて誰にも聞こえない声で呟いた。
待ってろ。
そこに行くから。
僕は立ち上がった。紙コップを捨てて自動ドアをくぐると外は夜明けの気配さえ見えない。助手席のギターを横に見て僕はエンジンをかけた。
もう逃げない。
ハンドルを切る僕の目の前を流星のようにヘッドライトが横切る。
僕は行く。
君を残して、光の差すほうへ。
新しい世界へ。
もうすぐ夜が明ける。
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