初春キャンプ①2008年03月28日 00時38分40秒

 娘の卒業式が終わり、4月の入学式までながーい春休み。
 じゃ、卒業記念って事で飛び石連休に休みを取っちゃって家族で何処か行こうか。何処がいい? と娘に訊いたら、即答。
「キャンプ!」

 ってことで、3/20からキャンプに行ってきた。


 住所は阿蘇郡産山村で阿蘇も近いのだが、実は久住高原に隣接していて、ほぼ久住といっても差支えが無い。ここに決めたのは常設テントがあること(テント持ってないもんで)の他に、

  1. 温泉が近いこと(この周りは温泉だらけだ。きっと何処を掘っても温泉なのだ)
  2. テントの傍で焚き火が出来ること(明記されていないが、キャンパーさんの日記の画像でテントの前に野外炉があるのを確認した)

 の2点。
 心配点はとにかく「寒さ」だ。この時期、平地でも下手をすると夜は冷える。キャンプ場は大抵山の中とかだから平地より冷える。気象庁サイトのアメダスでこのあたりの温度を調べてみる。うあ、下手すると氷点下だ。
 冬のキャンプの注意点をネットで検索。しかし冬にキャンプなんかするキャンパーさんは大抵きちんと装備の整った人なのだ。我が家のような素人キャンパーじゃないのだ。うちは持っているシュラフだって安物で冬の寒さに耐えられるようなものではない。AC電源付きのサイトでホットカーペットや電気毛布を使うというのが一番簡単らしいが、残念ながらここにはAC電源は無い。ついでにうちにはホットカーペットも無い。
 それでもいろいろ情報を集め、出来る限りの対策を考える。

  • テントの下にダンボールを敷き、さらに毛布を敷く。シュラフの上にももちろん毛布。
  • フリース等の重ね着&肩と腰に使い捨てカイロ
  • 首にマフラー&頭に帽子(頭が冷えすぎると次の日頭痛がするそうだ)

 天気予報もチェック。19日は雨だが次の日の予報は晴れだ。そんなこんなでバタバタっと準備をして、キャンプ場に向かった。



 公園の名前になっているヒゴタイというのは植物の名前。夏に鞠のような可愛い花を咲かせるらしいが、娘はこの看板を見て「ムラサキウニ」と大笑い。
 標高はかなり高いはずだが、地形的には三方を山で囲まれている。阿蘇を遠くに見ると背中には久住連山が聳え立っている。
 管理棟で手続きを済ませる。キャンプ場の管理人さん曰く、
「どれでも好きなテント使ってください。9番と10番は掃除しておきましたけど」
 間違いない。うちらしか客おらん。
 毛布を3枚借りたら、3枚分の値段で6枚貸してくれた(笑)



 テント、広っ。
 一応去年の春夏にキャンプを経験して、常設テントはどこも広くて立派で感心していたのだが、ここは一段と広い。ほんとに広い。途中でドラッグストアに寄って段ボールを貰ってきたのだが、敷き詰めるには全く足りない。自宅の部屋より広いんじゃないか、これ。
 テントの前に野外炉が、ってただのU字溝っぽいが、ちゃんとある。





 車の運転で疲れた旦那と、テントの中が大好き、キャンプに来ても何故かインドア派(笑)の娘を置いて散歩。
 ちょうど野焼きの季節だ。

 テントのすぐ横にキャンプファイヤーの出来るサークルがあるのだが、そこには何故か切り出された丸太と小枝が積みあがっている。
 丸太は多分椎茸のほだ木にするのだろう(この地域ではいたるところでほだ木を見る)ふと思いついて、管理人さんに訊いてみた。
「ああ、いいですよ。丸太は椎茸に使うんで駄目ですけど、小枝は好きに使ってください」
 薪はキャンプ場で買う予定にしていたのだが、積みあがってる小枝を薪として使っていいと言う返事。本来購入されるはずのものがロハになるというのに、管理人さんは個人的にのこぎりまで貸してくれた。
 管理人さん、ありがとうっ。

 夕食前に近くの温泉へ。(キャンプ場で割引券をくれる)
 夕方は当然の如くバーベキュー。夜は寒いので親は「鍋」を強く推したのだが、とにかく肉を食べたい娘が譲らない。
 バーベキューの準備は旦那に任せ、私は焚き火用の薪を作りに行った。
 のこぎりに興味を持った娘が手伝いにやってくる。あれ、娘のほうがのこぎりが巧い。訊いてみると授業でのこぎりを使ったという。
 ってことで、のこぎりは娘に任せ私はひたすら枝を折って薪を作っていた。
 夫が食事の準備をし、妻と娘が薪を作っている(笑)



 バーベキューと並行して、焚き火で遊ぶ。今回、焚き火が目当てだったりもするのだ。

 焚き火料理その1。焼きマシュマロ。
 よく聞くのだが実際にやったことは無かった。普通にマシュマロが好きな娘は「そのまま食べたほうが美味しいと思う」とかぶつくさ言っている。
 小枝にアルミホイルを巻いて、マシュマロを刺す。焚き火にかざして炙る。焦げ目がついたら食す。以上。
「おいしーーーい♪」
 噂に違わず、外はサクサク、中はトローリ。娘は夢中で食べていた。あ、こら、燃やして遊ぶな。

 焚き火料理その2。焼き芋。
 旦那「どうすればいいの?」
 ぎん「キッチンペーパー濡らして芋に巻いて、その上からアルミホイル巻いて火に入れる」
 旦那「面倒やね」
 ぎん「アルミホイル2枚重ねでもいいよ」
 旦那「わかった」
 見事に炭化した。芋が小さい割に焼きすぎてしまった。



 よく晴れている。
 最低限の灯り以外は本当に真っ暗な山。満月が煌々と照っているのに、はっきりとオリオンが見える。
 かなり冷え込んできたのがわかるが、焚き火で暖が取れたこともあり、火を見て興奮したのかそこまで寒さを感じなかったのもあり、わいわいお気楽に騒いで夜は更けていった。
 たまたまこの日は管理人さんが家の用事で帰ってしまっていたので、この夜、この場所に、本当に私たち家族だけだったのだ。

 まさかあんなに綺麗な星空が裏目に出るなんて、そのときは思いもしなかったのだ。

 つづくっ!

初春キャンプ②2008年03月30日 08時37分39秒

<書き忘れた気がするが、このキャンプは2泊3日の予定である。さて、1日目の夜が更ける……>



 夕食も後片付けも終わり、焚き火の始末をしてテントに入る。
 かるたとトランプなんて持ってきている。ランタンが暗いのでカードが見辛いのだが、それよりも。

 寒い。

 使い捨てカイロを背中に肩に貼っているにもかかわらず、背中からしんしんと寒さが忍び寄る。早めにゲームを切り上げ、シュラフに潜り込む。
 服装は重装備だ。上半身はフリースの重ね着+上着。下半身もフリース+上にもう一枚。首にはマフラー、頭には帽子。毛布は借りた3枚を下に敷き、家から持ってきたものを上に掛ける。さあ、寝るぞ。

 ……。
 …………。
 …………………………。

 眠れない。

 ある程度以上に寒いと、人間は眼が冴える。これ以上体温は下げられないと身体が知っているのだろう。とにかく尻から足全体が冷たい。暖めようと試みるのだが歯が立たない。
 私の頭にとある四字熟語が浮かぶ。

「放射冷却」

 晴れているときは、冷えるのだ。そんなこともすっっかり頭から抜け落ちていた。

 テントが広いことも裏目に出た。人間の体温くらいでは到底温まらない。温まったら温まったで結露がするので対策が必要らしいが、もはや結露もしそうにない。
 シュラフから手を出して上に掛けてある毛布を触ると、湿ったような凍ったような感触が伝わってくる。息か、身体から出る熱気が毛布の表面に落ちてきているのだろう。
 そのうちに恐ろしくなってきた。
(他の家族、凍死してないやろうね?)
 呼んでみるとみんな起きていた。ちょっと、ほっとする。

 トイレに起きたときに、テントの中に干しているタオルを何気なく触ってみた。
 ……がちがちに凍ってるんですけど。
 ごめんなさいごめんなさい。山をナメてました。山の神様許してーーー(泣)

 私と娘は貼るカイロを足の裏に貼り付け、だがそれでも寝られず、明るくなる頃にとろとろと眠ったくらいで夜が明けた。





 霜柱を見たのは何年ぶりだろう(泣)

 起きてから旦那の枕もとのPHSで時間を確認しようと思ったのだが、何故か電源が切れていた。
 キャンプ場は一面に霜が降り、霜柱もあちこちで見事に出来上がっていた。カメラを持ち出して電源を入れると
「バッテリーを交換してください」
 その時やっと気が付いた。PHSもデジカメも夜の寒さでバッテリーが凍っているのだ。一体氷点下何度くらいまで下がったんだろう。恐ろしい。

 とりあえず家族は皆風邪もひいていないし頭痛も無い。が、起きる時間も結構遅くなってしまったことだし行動は最低限にすることにした。周辺にどういう施設や名物があるか一応調べてはいたが、今日はもうのんびりしたほうがいいという判断だ。
 いろいろ予定はしていたのだが、「荒城の月」の岡城址も行ってみたかったんだが、また今度だ!
 その前に近所の観光客向け蕎麦屋で蕎麦とうどんを食べる。今はとにかく温かい食べ物が、それだけで嬉しい。

 で、行ったのが、



 大分県竹田市、長湯温泉郷の中の一施設。その名も「ラムネ温泉」
 名前のとおり炭酸泉らしいのだ。



 変な建物だと思った方、正解。ちなみに屋根から生えているのは松である。
もともと、ここの温泉を赤瀬川兄弟(赤瀬川隼、赤瀬川原平)が贔屓にしていたらしい。で、建て替えに際して原平氏から建築家・藤森照信氏が紹介された、らしい。
 まあそうすると、当然こうなるのだ。ちなみに藤森氏は原平氏の自宅も設計しているが、その屋根にはモツ鍋用のニラが生えている。通称ニラハウス(笑)そして藤森氏の自宅はタンポポハウス!(笑)
 そんな感じで(どんな感じや)有名な藤森氏だが、氏の設計した建物に入る機会は今まで無かった。これは逃せない。
ちなみに壁の黒は塗料でなく焼き杉板、屋根は銅版で葺いているのだと思う。



 先程の看板のイラストは南伸坊氏。
 これは嵐山光三郎氏の句碑。
 このあたり、わかる人にはよぉっくわかる原平氏の人脈なのである。

 入ると入場券の販売機が出迎えてくれる。なんと、ここはシャンプーも石鹸も無いという。置いていないだけではなく、売ってもいない。後で入ってみてわかったのだが、そもそもここには洗い場が無い。
「ここは温泉施設になっていますので、どうしてもといわれるならこの先の○○○に……」
 ちょっと髪は洗いたかったのだが、もうそんなことはいい。
 ここまで来て引き下がれるかっ。



 受付からいったん外に出て、家族風呂の前を通って女湯に向かう。脱衣所から浴場に入るドアは何故か小さく作られていてちょっと腰をかがめないと通れない(茶室のにじり口のような趣向?)
 内湯はちょっと鉄の香りがする白いにごり湯。しかし、「ラムネ温泉」は実は外にあるらしい。矢印に沿って外に出ると温室のように囲まれた木製の浴槽が見えた。
 内湯と違って透明に近い。ぬるい、よりむしろ少し冷たい。温水プールよりちょっと温かいくらいのお湯。ラムネ温泉の名の通り入っていると体中に炭酸の泡がつく。浸かっている分にはかろうじて寒くも無く、娘とひとしきり泡で遊ぶ。
 炭酸泉だから温度が高くないのはわかる。これがいいんだろうとも思う。
 だが、やはり、これは温泉じゃねぇっ。
 娘の要望に応じて、内湯に移動。
 内湯は温度もちょうど良く、寒さで縮こまった身体をのびのびと伸ばした。部屋にも浴槽にもまっすぐな線や鋭角なつくりが無く、すべてが粘土で作ったようなやさしくまあるい線でできている。肌が触れる心地もいい。広すぎないのもどこか落ち着く。
 そう、なんだかリラックスできる空間なのだ。これが藤森建築かしら。いいかも♪



 何故かかまどのある受付でのーんびりしてから、買い物のために竹田市街を目指した。

 つづくっ!(でもこの先は特に面白いことないかも)