09. 赤いカーテン2009年11月20日 22時04分58秒

 坂の途中でふと空を見上げた。千切れた雲の一欠片さえ見えやしない、うんざりするような快晴だ。肩先や頭の後ろに容赦ない光が降りかかり、おれは巨大なオーブンで焼かれる七面鳥のような気分になる。
 昔は、おれが子供の頃はこんな風じゃなかった。乾燥する季節でもどこか湿っぽく、雲が無いと思う日でも空の端には必ず細い雲がたなびいていた。太陽はもっと低く、日差しは優しかった。いや、違うな。坂の頂上、何処にでもある住宅地の一角でおれはぐっと身体を伸ばしながら目を細め、また空を見上げた。
 きっとおれが年を取ったということなんだろう。
 こんな気分は久しぶりだった。初めて歩く街はどこかおれの感覚を鋭敏にさせる。同僚が突然休んだりしなければこの街にくることは無かったんだろうと思うと、まるで雲の上を歩いているような不思議な気分になる。それにしたって、今日はなんて眩しいんだ。手に持った顧客リストの白が光を弾き返し、おれは目をやられて一瞬何も見えなくなる。首を振り顔を上げた目の端で何かが揺れているのが見えた。

 似たような家が立ち並ぶ街。
 至極無難に作られた、印象の無い家。
 薄いベージュの壁、その真ん中に空けられた掃き出し窓。
 そして、少し開いたその窓で揺れる、真っ赤なカーテン。

 意味なんてない。
 見た通りのこと。ただ、それだけ。
 足下の地面がふわりと揺れる。
 きっと、陽気のせいだ。

 ようやく今日のノルマを果たした頃、正面に小さな駅が見えてきた。駅と同じくらいに小さな商店街が駅通りの横手に伸びている。錆びたアーケードをくぐり、その薄暗さにおれはほっと息をついた。あの無情な太陽は予想以上におれの体力を吸い取っていたようだ。シャッターが続く通りを少し歩くと、おれはすぐにアーケードの出口にたどり着いてしまった。
 小さな立て看板に古くさい手書きの文字が踊っている。名画座。看板の前に小さな子供が佇んでいる。
 これ、なあに?
 振り向いた顔は子供の頃のおれだ。おれは目を閉じこめかみを押さえた。目を開けると子供はいない。地面がふわりと浮かぶ。どうかしてる。陽気のせいだ。おれは深呼吸をして顧客リストを手荒くカバンに詰め込んだ。

 飲み物を手に映画館の重い扉を開けると案の定人はまばらで、微かな寝息が館内に漂っていた。スクリーンの中に化粧の古い女が佇んでいる。誰かを待つ横顔。胸の開いたドレス。重そうに風になびく巻髪。男との情事でも思い出しているかのように目を閉じ微かに口を開けたその顔は、マユミに似ていた。
 女が待ちわびた男はテツヤに似ていた。馴れ馴れしく女の肩を抱く。キス。女の口から恍惚とした息が漏れる。ふと気配を感じて振り向くと、いつの間にか隣の席に女が座っている。微かな光に点滅する横顔。頬に掛かる巻髪。
「マユミ?」
 いつの間にかシーンは変わり、家具のないベッドルームで女が肩をはだけている。それに呼応するように隣から聞こえる衣擦れの音。マユミがゆっくりと上着を脱ぐ。抱擁。ネッキングとともにするすると落ちる衣服。微かな吐息。テツヤの背中をかき抱きうっとりと目を閉じる女。スクリーンに大写しになったその顔は間違いなくマユミだ。やめ、ろ。燃えるように身体が熱いのは身勝手な嫉妬か、それとも。
 隣の女の露になった肩が見える。微かに立ちのぼる素肌の体温。
 
 おれは女の前に立ち、復讐するかのように女にキスをする。頬を手で挟み強引に舌を入れると当たり前のように女が応える。景色がぐるりと回転し気がつくとおれはベッドの上で女の身体をむさぼっている。長い髪を手で掴み女の身体を引き起こす。こんなに近くにいるのに女の顔は靄が掛かったようにはっきりしない。映画の女なのか、マユミなのか、いや映画の女がマユミなのか、じゃあ、この女は、いや、そんなこともう。素肌の肩、胸、そして、おれの背中に爪痕を残しながら耳元で吐く歓喜の息は映画の、それとも目の前の。
 がたっ。
 背中に痛みを感じておれは呻いた。突き飛ばされたということすらしばらくはわからなかった。男女が言い争う声が聞こえる。その言葉は聞き慣れているように思えるのに外国語なのか日本語なのかすら判然としない。おれを突き飛ばした女の口から発せられる意味のわからない雑音。壊れたおもちゃのような、泣きたくなるほどに不快な。呆然とするおれの中で熱い、耐えられないくらい激しい何かが急速にふくれあがる。

 黙れ!

 おれは女にのしかかり反射的に首に手をかける。親指で力任せに喉仏を押し込むと言葉は止み、絞り出すような呻き声に変わる。黙れ。抵抗する女の爪が手に食い込む。黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。薄い皮膚を通して感じる筋肉。女の声が途切れる。こんなときでもまだ女の顔はわからない。激しく痙攣し始めた女の身体を力任せに押さえつける。大きく開いた口から赤い大きな舌が垂れ下がる。一度ビクリと跳ね上がった女の身体から不意に力が抜ける。固まって動かないおれの指からぐにゃりとした肉の感触が伝わる。荒い息を吐いておれは顔を上げた。ベージュの壁、少し開いた掃き出し窓、血のように真っ赤なカーテンが、動物の舌のようにチロチロと揺れて−−−−。

 気がつくと映画はエンドロールが流れ、天井の灯りが付き始めていた。隣を見たが誰かがいた気配すらない。思わず首に手をやる。ひどい汗だ。おれは広げた両手をじっと見つめた。絞めつけた首の、親指に残る喉仏の、爪を立てられた手の甲の、ぐにゃりとした肉の、感触。夢だと思いたいおれにこの手がしつこく異議を唱える。
 なんて日だ。
 全部、陽気のせいか。
 おれは立ち上がり出口へ急いだ。あたりはもうすっかり暗い。馬鹿馬鹿しいと思いながらおれはマユミに電話をかけた。るる。呼び出し音が鳴る。るるるるる。もう仕事は終わっている時間だ。るるるるるるる。どうしたんだよ、いつもすぐに出て。るるるるるるるるる。なあ、出ろよ。まさか、そんな。るるるるるるるるるるるるるるる。

コメント

_ ヴァッキーノ ― 2009年11月22日 15時04分26秒

この主人公は、なんの映画をみてたのか
最後までわかりませんでしたが、
うろんなけだるさは十分伝わってきました。
エッチな表現がうまいですね。
ボクなんて、直球勝負ですぐに下ネタに
なってしまいます(笑)

_ ぎんなん ― 2009年11月24日 01時06分01秒

ヴァッキー、
私も何の映画かわかりません(笑)
ただ、小さな街にある、寂れた「名画座」って……成人映画館じゃね?という発想はしていたりします。だから、エロがあって予算がかかってなさそうな映画をイメージしていたりします。
と、そんなことを書こうとしていたら、昔知り合いがピンク映画に出てたのを思い出し、検索して探し当てたらDMMで買えることが判明しました。こっそり買って見ようかなー。ぐふふ。

_ 儚い預言者 ― 2009年11月25日 23時34分55秒

 かなりきてます。かなりいってます。かなりかさなっています。
 もうこれは完全な読み物です。これはすごい。
 仕事?という圧力が、この熱帯の蜃気楼のごとく、粘着質の夢を肌感覚へするどく刺激しているようでしょうか。もっと怒れ、もっと仕事からストレスをもらえーー。あっひーー、びしびし、被バッシー。こちょこちょこちょ。

 星がある。燃えている。炎が色に嗾ける。それは一体であろうとする夢か、或いは一人という陽炎が陰なる影に怯えているのだろうか。現実とは肌触りであり、これ以上に真実を掻き立てるものはない。

_ ぎんなん ― 2009年11月26日 15時17分48秒

預言者さま、
いったりきたりかさなったりしつつ、当人はこたつでふんぞり返って法事で貰った煎餅を齧っております。
ほめられているのに、何故かう、う、うれしくなーい(泣)バッシー。
プロジェクト3つかけもちはきついっす。まあ、かけもててないですが。

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